高知学114 カントリーライフ3 土砂災害と津波

 安らかにカントリーライフを過ごすには、災害の起きない土地に住まなくてはなりません.もちろん災害は田舎に限らず都会でも起きます.しかしカントリーの土地は広いし、いざというとき助けに来てくれる人は少ないので、自助を前提で住まなくてはなりません.高知の代表的な災害は豪雨と南海地震に伴う土砂災害と津波です.

1. 土砂災害

 高知は急傾斜の山地が多い上、台風を始めとする豪雨が頻繁です.地質的に不安定な地帯もあります.

深層崩壊地

 高知県では土砂災害危険箇所マップが作成され、関係地区の住民に地図の冊子が配られていますが、ネットで閲覧できます.土石流危険地域、急傾斜地崩壊危険箇所などが地図上に示されています.自分の散歩コースの中でも、幅は25m程度と小さな箇所ですが六つあります.

 ここに示されている危険箇所でも、住宅地としてあるいは住宅が建売で販売されています.承知の上で入手するのなら良いのですが.

のどかでもリスク

 のどかな風景の中にも崩壊の危険は潜みます.緩い傾斜地や斜面の下につくられた棚田は地すべり地形です.

 土砂災害危険地図は防災科学技術研究所によっても全国的に作成され、J-SHIS Map として公開されています.こちらは県ほど細かい表示はなく、広く地域に網をかけているように見受けられます.

土石流危険箇所

 防災研地図が示す危険急傾斜地は写真の地域では少ないのですが、尾根付近に数箇所示されています.下からでは樹木が繁茂してわかりません.県の地図ではそこを起点とする土石流の可能性が示されています.

大豊町怒田、八畝

 四国の地層は東西に延びる帯状になっています.その中の御荷鉾(みかぶ)帯にもっとも多く地すべりが発生します.変成した粘土層が底に厚く存在して水を通しません.その上に表土が乗る、いわば傾けた洗面器に水を入れた状態になっています.大豊町の怒田(ぬた)、八畝(ようね)はその大規模な地すべり地域です.

 一方傾斜が緩く地下水位が高いため水田に適していて棚田が広がります.棚田は地すべりの指標なのです.余剰な地下水を減らして地すべりを防止するため、斜面に水路がつくられ(写真でもわかる)、集水のための大きな井戸を設けています.衛星によって地盤の位置変動を捉えるモニタリングポイントもあります.

 それぞれの土地の地質は産業技術総合研究所、地質調査総合センターの地質図Naviで知ることができます.

2. 津波

 駿河湾から四国にかけての沖合い100kmほどのところで、北に向かって移動するフィリピン海プレートが日本のプレートの下に潜り込んでいます.その地帯を南海トラフと称しています.

中央右が室戸岬方向

 潜り込みによる変形に耐えられなくなってほぼ100年ごとに跳ね上がり地震が発生します.この前の地震は1946年の昭和地震で、その100年後は2046年になりますが、昭和はマグニチュード8.0とその前の安政(1854年)、宝永(1707年)の8.4-8.6に比べて小さく、歪が残っているためそれより早く2038年頃との推定があります.

国道の津波浸水標識

 地震により津波が発生します.高知県防災マップには各地の到達時間と浸水予測が図示されています.海岸はおおむね10mから15mですが、直接外洋に面している場合は到達時間が20-30分と短いのです.

津波避難タワー

 海岸近くには津波避難タワーがつくられていますが、近いところにすぐ逃げられるよう周辺の高台あちこちに避難場所が設定され、現在地の海抜と避難方向を示す掲示が多数あります.

津波避難場所

 写真の場所は海抜12.5mで、ここまで逃げれば巻き込まれない見込みです.

 南海トラフ地震の津波による四国の死者は最大7万4千人の予測です.浸水地域を避けることが必要です.

(初版:2021年8月29日)        (改訂版:2022年4月3日)

2021年8月29日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学113 カントリーライフ 2 車と買物

1.車・生活の足

 生活を維持するには日々の買物が重要です.それには足が必要です.

 都会ではJR、私鉄、地下鉄が網のように張り巡らされ、どこにでも行けます.しかしカントリーにはこのような交通機関はありません.したがって車です.車があるとどこにでも行けますが、車がないとどこにも行けません.

 どの家庭にも免許保持者の数だけ車があります.夫婦が持っていれば2台、さらに子ども二人が取っていれば4台になります.カントリーでは駐車の心配は要りません. 

市内のスーパー

 適合する車はスーパーに行けばわかります.軽自動車です.高知は日本で一番軽の比重が高く50%以上とのことです.何より安いし税金も低いのです.道が狭いから適合もしています.なお家族が多いと1台はミニバンです. 

香我美町・山川

 基本的にカントリーに入ると道は一車線です.しかしどこかに広くなったところはあるので、すれ違いに困ることはありません.ダンプだと離合場所は限られますが、前もって見えていますからどちらかが広くなったところで待ちます.長い距離をバックすることはまずありません.

細川のトンネル

 とても狭いトンネルがありますがこれは例外的です.ただ古い集落には軽の巾しか道がありません.

2.買物

 買物は都会なら店は選り取り見取りで何の苦労もありません.しかしカントリーではどこで買物ができるか、見定めておく必要があります.

元はよろず屋

 昔は集落に一つよろず屋があって食料品や日用品を売っていました.右の家はよろず屋でしたが今は廃業.今も残っている地区もありますが絶滅危惧種です.隣は酒屋でしたが今は古民家カフェ.

小型スーパー

 地域によってはよろず屋が発展したような小型スーパーがあります.品数は少ないが鮮魚、肉類が買えます.なお日用品もあり香典の袋も置いています.

直販所

 国道の道の駅には直販所があり、農家から持ち込まれた新鮮な野菜が買えます.魚も売っています. 

地域のスーパー・芸西村

 国道沿いにはほとんど自治体ごとと言ってよいのですが、15-30kmほどの間隔で地域のスーパーがあります.週2回ここに行ける距離ならカントリーライフは普通に過ごせます.それよりも遠いと覚悟が必要ですが.

 「ポツンと一軒家」、ポツンの距離が問題なのです.

(2021年8月31日 初版)        (2022年4月3日 改訂版)

 

2021年8月26日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学112 カントリーライフ1 草とムシとの戦い

 高知に来て23年、カントリーライフを過ごしてきました.その生活の上で重要だと思うことを記します.

 1.草との戦い

水田と耕作放棄地

 カントリーは自然に恵まれています.しかしその「自然」は住民の苦労で保たれいます.

 自宅から海に向かって歩いてゆくと水田があって、その先には野原と森が広がります.緑豊かな風景に見えます.

 しかしこの野原、元は水田でした.仕事を変えたのか高齢化によるのかはわかりませんが、耕作が放棄されて今はススキの広がる荒地になっています.灌木も生えています.右の森は何の手入れも行われていません.茂り放題で、ツタやクズに覆われて枯死寸前の木もあります.

 本当の緑は相応の苦労によって始めて維持されるのです.

山の草原

自宅から道を登ると草原に出ます.ここも茂り放題です.少し前までは道があり、犬と共に眺めの良い丘や林を抜けて谷間に出られたのですが.

 ここでは土地争いがあったらしく「侵入者は刑事告訴する」などの看板が立ち、鉄条網を張ったりしていましたがどうなったでしょうか.

庭の畑

 そういうことで自宅に庭をつくるには、草との戦いの覚悟が必要です.庭は人工のもので、自然の姿ではありません.

2. ムシとの闘い

 草と共に自然に付きまとうのは虫です.カントリーではムシとの戦いが必要です.

谷への斜面

 自宅下には谷間に通じる斜面があり、昼なお暗く木々が茂っています.

 当然虫も育っています.この土地の所有者はわかりませんが、伐採してしまえば虫は減るでしょう.しかし裸になった傾斜地は豪雨で地すべりの危険があります.水を十分に含む(従って虫が育ちやすい)斜面が望ましいのです.

ハネアリ

 虫の中でもっとも用心しなくてはならないのはハネアリです.春の夜、灯りを目指し窓全面を覆うほど大挙してやってきます.これは一匹たりとも家に入れてはなりません.シロアリとなって家を食い荒らすのです.防虫剤を散布してやっつけましたが、翌朝跳ね飛ばされた一部が窓に残っていました.

防虫剤

 そのようなことで防虫剤が積み上がっています.

 ムカデはスコップで切断して森に投げればよい.スズメバチも来ますがこれは強力スプレーで退治.ゴキブリは家内が生ごみを土に埋めて処理するようになって絶滅しました.コウモリは軒先に巣をつくって目を光らせていました.ヘビは鳩の巣を求めて同じく軒まで上がってきましたが、散水ノズルから水を噴射したらドタッと下に落ちました.

 付近の森にはシカやイノシシもいて、斜面にイノシシが掘り返した跡がありましたが、最近は来ないようです.

(2021年2月28日 初版)         (2022年4月3日 改訂版)

2021年8月21日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学111  宿毛から柏島・海の道-後編 柏島へ

1.養殖の入江 

 入江は養殖基地になっています.狩猟のように不安定な要素の天然魚、餌代と手間はかかるが安定した養殖、どちらがいいのかは難しいでしょうが.

(泊浦)

 岸に沿って家々が並んでいます.今は車があるので海岸に住む必要はないのですが、平地は他にありません.養殖の現場で連絡は必要ですし、山間部と違って一帯に携帯の空白地域はありません.

(養殖の筏)

 養殖は陸に近い湾内でも行われています.水が余程きれいなのでしょう.

(マグロの養殖筏、安満地)

 タイやハマチの養殖筏は四角ですが、マグロは高速で泳ぎ回るのでそれではすぐぶつかってしまいます.大きな円形プールになっています.

2.入江の生活

 養殖は24時間操業の装置産業であり、ただ海を網で囲って餌をやればよいというものではありません.年中無休のメンテナンスや更新体制が必要で、規模によって異なりますが大小クレーン付きの船がたむろしています.

(橘浦)

 山には風力発電機が並んでいます.海峡を渡る風が安定して吹くのです.ただここは大きい風車ですが全く動いていません.先の山上にある小さな発電機群はせわしなく回っていましたので、風任せではない風力発電のマネージメントがあるのでしょう.

(移動スーパー)

 移動スーパーが音楽を鳴らしてやってきました.生協の配達車も見たので、買物は困らないでしょう.

(安満地)

 かつては文字通り津々浦々に学校がありました.しかし大月町では9小学校、5中学校を一つに統合しています.2021年の新入生は小学校18人、中学校30人ということです.丘に廃校が見えます.

3.柏島

 海に突き出た柏島が見えてきました.江の島と同じで橋で繋がっています.以前宿毛から離島の沖ノ島に行ったとき、これまでいなかったイノシシが住みついたと聞きました.宿毛からうっすらと見える島をどうやって認識したのだろうと驚きましたが、ここで見れば島伝いに泳げば到達できそうです.

(左から柏島、枇榔島、沖ノ島)
(柏島の海)

 柏島は珊瑚と透明な海で知られています.

(神社とアコウ)

 神社の色はいかにも南国です.境内には沖縄でよく見るアコウがあります.

(柏島の通り)

 通りを見回していたら、老婦人が「ここは町が碁盤の目になっている.京都に倣ったの」と話してくれました.言われてみれば、道は狭いが縦横直線です.ダイビングサービスの洒落たオフィスもあります.

(右端は鵜来島)

 辺り一帯の海はグレ、イシダイ、クエなど大物磯釣りの格闘場です.南からの黒潮が日本にぶつかる場所がここなのです.柏島、離島の沖ノ島、鵜来島には多数の瀬渡し業者があり、それぞれ日割りで岩場に渡してくれます.左にある尖った岩峰は二並島で、その先にうっすらと水島が見えます.貨物船との間にある三角形は黒バエでしょうか.そのほか水面に近くてわかりませんが、愛好家ならその名を聞いて目を輝かす岩礁があちこちにあるのです.

(おわり)

(2021年5月4日 初版)     (2022年4月1日 改訂版)

2021年5月4日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学110 宿毛から柏島・海の道-前編 龍ケ迫へ

1.高知の東西

(土佐湾)

 四国の太平洋側は、端から端まで高知県です.瀬戸内海側は愛媛県で、その東を香川県、徳島県が二分しています.高知は東西に長く、端から端まで直線距離で200kmあり、関東なら犬吠埼から富士山までの距離になるのです.

 これだけ長く、しかも南海トラフという活発な地球活動が近いので地形は複雑です.東の室戸岬方面は100年に一度の地震で隆起して盛り上がった台地と断崖の海が続きます.一方、西のエリアは沈降して侵食を受けたリアス式海岸になっています.

2.宿毛から柏島

 高知の西端の町宿毛(すくも)から、珊瑚の海のダイビングで知られた柏島まで、崖の上を狭い道が続いています.国道は山の中を通りますが、この道が入江にある漁村を結んでいます.しかし魚の運搬などは国道に出る道が別にあるので、海岸の村同士を行き来する通行は少ないのです.昔はどの道路も無かったので巡航船が使われていました.

(左から沖ノ島、姫島、鵜来島)

 宿毛の外れ、島の上にあるホテルから南を見ると離島が並んでいます.この近く迄行きます.一帯の海は鯛などの養殖の場で、筏が並んでいます.国道から分かれて青い海を見下ろす道に入ります.

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 8101e91687355c2f1dc228da7010a951-1024x683.jpg
(岬と入江)

 一部で拡幅工事が行われていますが、狭い道です.

(森の道)

3.白浜とタッチ

 海の傍にある集落には分岐して下ります.

(白浜)

 白浜はその名の通り白砂の浜です.このお宅のプライベートビーチと言ってよいでしょう.

(白浜のビーチ)

 さらに先に進むとタッチです.タッチとは変な名ですが由来はわかりません.立派な岸壁や防波堤がありますが、いま傍に人も家も見当たりません.宿毛に近いから、あえてここを養殖の基地や荷揚場にすることはないでしょう.ただ小舟が2艘繋いであるので、周辺に二人は居ると思われます.

 高知のあちこちに、つくったもののあまり使われていない漁港を見ます.

(タッチ)

4.龍ケ迫

(海を見下ろす)

 戻って元の道を進みます.ところどころに一軒家があります.この辺り水は乏しいので稲作は難しそうですが、垂直に石垣を積んだ畑があります.営々と長年に渡った労働の結果でしょうが、魚はいくらでも獲れるからかなりの自給自足です.

(棚の畑)
(龍ケ迫)

 龍ケ迫(たつがさこ)に入ります.小さな漁港ですが、傾斜が緩い土地に密集せず家々が広がっていて、のどかです.

(龍ケ迫の家々)

5.休憩所

(集落の道)

 景色の良いところに休憩所がつくられています.

 中に寝そべる布団や動くのかどうかわからないラップトップが置いてあります.みんな古びていますがホームレスの住家ではなさそうです.ごみもありませんが生活感もありません.テーブルには埃の積もった小皿があります.ただコップ二つだけが磨かれています.

 昔読んだモームの小説を思い出しました.イタリアに旅行に来た英国の銀行員が、青い海と村人の生活に魅せられ、ここに住むことを決意したのです.自分の余命を25年、60歳までと定め、全財産を処分して25年で使い果たすように按分しました.海の美に囲まれ快適で知的な生活を過ごしたのです.やがて25年が経ちました.彼はまだ生きていました… 

(眼下の海)

(つづく)

2021年4月29日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学109 香南市の最奥-後編 舞川へ

5.奈良

峠の家

 奥に入るにつれて無住の家々が増えます.

(住まなくなった家)

 町からは遠いのですが、変わらず住む人もいます.親から引き継いで、次の世代がこの地で農業、林業、建設などの仕事をやるかどうかでこの差が決まるようです.

 小さな記念坂の峠を越えると奈良に出ます.

(奈良の廃校)

 廃校になった小学校が残っています.その上は教員宿舎だったのでしょう.校舎横の運動場は細長いが50m走はできそうです.

6.奈良峠

 さらに奈良峠を越えます.昔は山の上に林業や炭焼きを行う集落が点々とあり、これらを結ぶ山上の道が主要地方道(県道)になっていました.しかしこれらの集落のほとんどは消滅して道は廃道に近く、通行止めになっています.

仲木屋への道

 この道から分かれて仲木屋に向かう道路です.仲木屋は標高600mで、棚田も小学校の分校もありましたが、今は跡形もありません.

7.舞川へ

 今の道は川沿いですが林道で杉林が続きます.枝打ちは綺麗にされていますが、間伐が無かったので細い木々です.

川沿いの道

 最奥の集落、舞川に入ります.

舞川

 市の選挙があるのでポスターのボードがあります.昔若者が住んでいたのか川の上のデッキや白壁に描いた絵が残っていますが人影がありません.

(山の家)

 しかし山奥を楽しむ人たちもいて、新しく掛けた橋や対岸に渡る私設ロープウエィもあります.

(自家ロープウェイ)

 8.香南市の最奥

 やがて最奥です.老婦人が畑をやっていますが、日々はシカ、イノシシとの戦いです.今日も柵の強化のため鉄格子を運んでおられました.

動物との戦い

 この先で香美市になります.香美市は狩猟が可能ですが、香南市は禁止です.香美市で猟師に追われた動物が香南市に逃げ込めば安全が確保されるのです.

 育てられたハナモモを見たかったのですが、つぼみは膨らんでいますが早かったようです.写真は一昨年のものです. 

(4月の舞川)

 (2022年4月4日)

2021年4月4日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学108 香南市の最奥-前編 奈良峠へ

1.香南市

 香南市は高知の東部にあり、町村が合併して今の姿になっています.土佐湾に面した海岸部は幅9kmですが、山の奥行は直線距離で30kmあります.しかし山道の屈曲があるので、車の走行距離は40kmになり、2時間はかかります.

手結港

 住んでいる香南市夜須町には、江戸初期に土佐藩家老、野中兼山が築いた手結堀込港があります.この辺りをスタートにして最奥まで行きます.

春の田んぼ

 のどかな田園で、これからその裾を辿る山々が先に見えます.

2.夜須川

 集落と道は川に沿って山に伸びます.

夜須川の橋

 3.細川

石垣の家

 さらに進むと平地が少なくなり、石垣を城壁のように高く積み、その上に家をつくっています.石垣の上は水が内部に入らないように反り返っています.天保年間につくられたということです.

 この辺りは熟達の石工を輩出した土地であり、手結港の石垣もこの人たちが築いたのでしょう.

 4.香宗川へ

 夜須川の流れは終わりとなり、狭い山道を通って香宗川流域に出ます.

(山越えの道)

 倒れた木が道にかかり、首をすくめて通り過ぎます.

(峠のトンネル)

 峠には小さなトンネルがあります.

(峠の道)

 ヘアピンカーブを繰り返して下り、末清に入ります.

末清の家

 間もなく別役です.香南市のコミュニティバスはここまで週5日、一日2.5往復運行されています.さらにその先奈良峠の麓まで、予約すれば乗れるデマンド運行になっています.

別役

この辺りも家々は石垣の上に建っています.田畑の畔も石垣です.

(つづく)

2021年4月1日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学107 住まなくなった家

1.空き家

 国交省では「空き家」を次のように定義しています.「1年以上住んでいない、使われていない家」.別荘、賃貸住宅の空室など、ほかにその他が入ります.「その他」には転勤、入院で長期に不在、取壊し予定などが入りますが、実際にはこれが田舎の空き家の中心です.

 2018年の調査では全国の空き家率は13.6%.都道府県別では山梨が首位、以下和歌山、長野、徳島と続き、高知は第五位の18.9%、約5万戸す.

 県内では土佐清水市、室戸市、四万十町、宿毛市、香南市の順です.安芸市、香美市も高く、津波浸水の恐れのある海岸部、孤立した集落の多い山間部の人口減少が非常に大きいためと思われます.

2.住む人がいなくなった家

 散歩で1時間ほど付近を歩きます.自然にコースができていますが、どれを歩いても「住む人がいなくなった家」があります.

 上のような「空き家」ですが、空き家というとアパートの空き室を含んでいるように、一時的に空いている状態のようにも感じます.

 そこで「住む人がいなくなった家」とします.空き家なのですが、長くその状態が続いていて、周辺の様子などからもう住人は戻って来ないのではないか、という状況です.

3.家の状態

(この家は現在取り壊されています)

 「住む人がいない」次の光景です.

 雨戸が長く閉ざされたまま、草木が伸び放題、プロパンガスの配管はあるがボンベがない、通路が落葉で覆われ人が通った跡がない、など.

 4.日陰の家

 日が当たらない小さい家は住人が離れやすいように思います.

 しかし日陰とはいうものの、辺りの木々が伸び放題だからそういう印象を与えるので、切ってしまえば随分変わります.もっとも付近は別の地主で、勝手に切るわけには行かないのかもしれません.

 近くに何種類かの見事な桜に囲まれた家がありました.家の主は桜の研究者であったとも聞きます.ところが空き家になって桜が急速に勢いを失い枯れてしまいました.「あるじ無きとて咲くを忘れ」たのかもしれません.

5.ゴミ屋敷

(この家は住人が吊るしていた蚊取線香が落ちて焼失しました)

 空き家というとゴミ屋敷のイメージがありますが、実際にはそのような家は滅多にありません.住まない、と決めた時点で整理や掃除がされています.ゴミ屋敷はもともと整理や清掃をしたことがない、という住人によります.

6 .海岸の家

 海岸の家は厳しい状況にあります.津波の心配があるためです.

 左の舟があるところは児童公園で右は岸壁.若い漁師さんは高い国道近くに家を建てて住んでいます.漁の職場には車で通えばよいのです.

7.ラスト50m

 石垣を積んだ斜面に重なるように並ぶ家々.漁港の風情ですがこれは高齢者に厳しいのです.急な斜面の狭い道を助けなしに上がり降りすることは困難です.

 老人施設の送迎車が止まって車椅子を下ろします.その乗移りにも時間がかかります.その後に職員が押して上がります.ラスト50mが問題なのです.

 「住まなくなった家」、それぞれに理由がありますが、「住んでいる家」になれば、と思いながら歩いています.

(初版:2021年2月28日)         (改訂版:2022年4月6日)

2021年2月28日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学106 芸西から夜須 海と山の散歩道-後編 手結へ

1.手結山坂

 明治からの旧国道は55号線を横切って山に向かって続きます.この先の峠越えは「手結山坂」と名付けられていました.標高こそ60mで大したことはないのですが、海からすぐ切り立っているので、急坂かヘアピンカーブかトンネルかになります.

(手結山坂へ)

 旧国道はヘアピンカーブの道です.この辺りは近年に拡張されて歩道もあります.住宅もあるのでたまに車は通りますし、犬の散歩にも会います.

2.旧街道

(旧街道とクロス)

 道を進むと見落すような小道と交差します.これが旧街道です.道の向こうには昔琴風亭という大きい茶店があり、手前を上れば茶屋餅を商う店がありました.餅屋はいま新国道の傍に移転しています. 

(旧街道)

 いずれにせよ峠道で一息入れる場所でした.旧街道、落葉に覆われて風情がありますが、大部分は草木が茂って通行困難です.

3.手結山坂の国道

(明治からの旧国道)

 拡幅区間が終わって森の中の本来の幅の道になります.

 明治時代には馬車の運行が始まりました.しかし手結山坂は馬にとって最大の難所でした.雨が降ると泥濘となり、御者がいくら鞭を振るっても進めません.とうとう乗客が降りて後押しをしたこともあったといいいます.

 昭和初期には高知・甲浦間に30分間隔でバスが運行されましたが、トラックも通りますし、すれ違いができる道ではないので車掌の笛で再々バックしたことでしょう.この状態が1963(昭和38)年、新国道のトンネル開通まで続いたのです.

(国道55号線のトンネル)

 左が最初の国道トンネルで、狭いので右に新しくトンネルがつくられています.左端は峠から移転してきた餅屋です.上を旧国道が通っています.

4.手結山坂の鉄道 

 しかし最初にトンネルを掘って手結山坂を克服したのは、1930(昭和5)年に手結から安芸まで鉄道を建設した高知鉄道です.廃線後今は自転車道になっています.2本のトンネルが続いて、東は「登龍門」、西は「制天工」の扁額が掲げられています.

 登龍門、郡部を出て都に向かう若者の出世を願ったのでしょう.制天工、大自然を制したという意味です.今からすると短いトンネルに大げさな名前という気はしますが、土讃線もまだ全通していませんでした.これによって狭く危険な道や岬の荒波の海路に依らず、高知が全国と繫がったのです.

(制天工トンネル)
(廃線跡のウオーキング)

 しかし海岸からトンネルまでは登り勾配が続きます.1940年代では石油の不足からガソリンカーに木炭ガスが使われていましたが、出力が低く何回やってもこの坂が上れないことがありました.とうとう出てきた手結駅まで戻って夜明かしをしたといいます.

5.手結港

(手結内港)

 坂を下りると手結港に出ます.これは江戸時代、野中兼山による大工事によって陸地を掘込んだ内港なのです.湾を巡って昔からの家々が並んでいます.

(手結外港)

 しかし時と共に土砂が流入し、次第に船が入り難くなりました.そのため明治後期に海に防波堤を築き外港をつくったのです.この時代、高知と大阪の間に汽船が運行されるようになりましたが、大きい船が出入りできる港がないため、要所で沖に停泊して艀で人や物資を運んでいました.今は各地に漁港がありますが、当時は皆「我は海の子」の漁村であり、櫓櫂手漕ぎの小船を浜に上げ下ろししていました.外港によって150トンの汽船が入るようになったのです.

 一方、岬一帯は岩礁で伊勢海老がよく獲れました.写真右側の大きい建物は元伊勢海老の料亭です.

(夜須の町)

 国道を横切って昔からの夜須の通りに入ると、銀行の支店は無くなりましたが、郵便局、洋品店、美容院、散髪屋、小さなスーパー、建材店が並んでいます.旧道はさらに続きます.

(初版:2021年1月15日)         (改訂版:2022年4月2日)

2021年1月15日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学105 芸西から夜須 海と山の散歩道-前編 住吉へ

1.高知の東海岸

 高知県は室戸岬から足摺岬まで、太平洋に向かって土佐湾が円弧を描いています.大まかに言って東半分は浜辺、西半分は荒磯です.

 室戸から高知市に近づくと、松林が連なる琴が浜に出ます.淡く桂浜が見えます.

(琴が浜から高知市方向)

 浜が尽きるところには、手結岬一帯が山から押し出していて断崖になっています.道はそのまま進めないので、100mに満たない山地ですが、峠越えをします.丘の白い建物はロイヤルホテルと土佐カントリーです.

(琴が浜の西端)

 崖の端にあるのがレストランです.凝った工事でした.まず海に突き出たコンクリートの土台をつくり、その上に長く伸びたレールを敷き、上で鉄橋に似た構造物を組みます.レールの先端に滑車をつけ、ワイヤの一端を構造物に結んで他端を引っ張り、海に向かってせり出させました.

2.山越えの道

 この先の交通路はいくつかありますが、古い姿は明治40年測図の地形図から読めます.

(大日本帝国陸地測量部:二万分の一地形図「夜須」
明治40年測図 昭和3年鉄道補入、昭和5年3月30日発行)

 地図にある道を橙色に塗りました.紫色は描き加えた現在の国道55号線です.地図では鉄道の終点が左上の手結(てい)ですが、その後土佐電鉄が安芸まで延長し、その廃止後今は自転車道になっています.記入していませんがほぼ現国道に沿っています.さらに青色は現在の土佐くろしお鉄道、緑色は高速道路ですが、この区間のほとんどがトンネルで、少し谷間で顔を出すだけです.

3.曲がりくねった道

(旧道のヘアピンカーブとごめん・なはり線)

 さながら土木技術の変遷を見るようですが、実は橙色の道は1893(明治26)年頃に作られたもので、さらに昔は山を直登、直降する江戸時代の街道がありました.地図を詳しく見ると、屈曲をショートカットするような細い道が見出せます.

 今も一部残っていますが、言ってみれば野良道で、駕籠の参勤交代やお遍路さんは通れますが、荷車や馬車を始めとして、およそ「車」は通れません.

 明治になると外国に対する国土防衛の問題が生じました.砂浜は敵軍上陸に好適で、太平洋戦争では付近に特攻隊基地が置かれたことでもわかります.しかし砲車も大部隊も移動できない道しかないのではどうにもなりません.そこで新しい道路が建設されます.先の地図も1880(明治13)年以降、参謀本部によって軍事上重要な個所から着手した測量結果なのです.

3.明治の道をたどる

 山越えの道は先ほどのレストランの傍から始まります.閑静な住宅地の道ですが、軍靴が響き、軍馬が嘶く時代もあったのです.

(明治の道を上がる)

 屈曲が多いのは人力しかなかった当時、少ない工事で谷を越え、坂を上がるためです.

(坂の上から室戸方面)

 登りきると室戸方面まで広く見渡せます.

(施設の跡地)

 突き出た山地の一帯は眺めが良いので、ところどころに住宅や別荘がつくられています.ここには以前高齢者施設がありましたが、国道沿いに移転したため空地です.

(竹林の道)

 道は山裾を回って行きますが、竹林は周期的に枯れるので明るくなりました.

 この道、実は私の散歩道です.集落の中は別としてほとんど人に会いません.車はもう通りませんし、お遍路さんも国道を歩いています.

(西には桂浜)

 竹林を抜けると今度は西方向が開けて下りになります.この下で国道を横切り、漁港の住吉に入ります.

4.住吉

(カフェ)

 昔からの家並ですが、元の酒店がランチタイムに開くカフェになっています.丘の上に見えるのは観光ホテルで、元日には花火が上がりました.

 この道、昭和になって上に新国道ができるまでは、国道としてバスが通ったはずです.狭いがいまも市のコミュニティバスが通るので路上駐車をしないよう掲示が出ています.

(住吉から山へ)

 集落を抜けると再び上りになります.斜面に住宅が並ぶ辺りを進みます.フルーツトマトの無人スタンドがあります.付近の農業ハウスではトマト、スイカ、ナス、ピーマン、ニラ、その他いろいろの作物がつくられています.温暖で日照がよいのです.

(つづく)

(初版 2020年)         (改訂版2022年4月2日)

2021年1月7日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一