高知学210 室戸への道を歩く10 吉良川から行当岬 崎山台地、無人の農免道

2022.4.28

 吉良川町の東西を流れる川で西山台地は終わりますが、その先で再び崎山台地へ上ります.標高は奈半利では100m、西山では150mでしたが、この崎山は180mで、室戸へ向かうほど隆起が大きくなっています.

崎山台地へ上がる道

 台地は「農免道路」が貫通しています.西山台地の「広域農道」より早く、1980年代につくられています.谷を渡る豪快な橋があり、道幅はやや狭いものの機能的に変わりはありません. 

 農免道路とは、ガソリン価格の高騰に伴い農業用については免税との要望に対し、農業用だけを特別扱することは難しいが、その分を農道整備に身替りするとのことで生まれた仕組みです.民主党政権下の事業仕分けで今は無くなっています.登り口に記念碑がありますが室戸市長の揮毫です.広域農道は県の管理ですが、農免は市町村です.

農免道路の風景

 台地には昔は集落もあったと思いますが、いま草の茂った荒地ばかりで人家はありません.道路端には石垣や平地も見られるので家々があったのでしょう.どこで作業をしているのか草叢にバイクが止まっていました.

荒地のバイク

 何台かの軽に会いました.農作業を終え昼に下に戻るのです.道端で持参したお握りを食べましたが、ウグイスの声が聞こえるばかりで、もう車はやってきません.

谷を渡る

 西山台地と同じく、台地の侵食された谷を渡る高い橋があります.こちらの方が古いので、傍にある記念碑は西山の橋本知事の前になる中内知事の揮毫です.橋の一部は海岸から見えます.

海岸から見上げる

 せっかく巨大な橋まで作りながら、なぜ荒地ばかりなのか.

点々とある水田

 小さな水田はあります.この時代、炭焼きは廃れ、各河川流域にあった森林鉄道が廃止されるなど林業も下降していました.山に居た人の生活を確保するには、稲作が行える土地を開墾することが重要であったのではないでしょうか.

整理された水田

 小さな水田の多くは放棄されていますが、耕地整理を行って規模を大きくした水田は健在です.西山も耕地は整理されていますが、後の時代、割り切ってサツマイモに特化したのでしょうか.

 崎山が農免の終端で、ようやく住居が点々と現れました.男性が詳しく岬への道を教えてくれました.26番金剛頂寺が近く、崖下に降りる遍路道と交差します.

遍路道

若者が刈った燕麦を車に積んでいました.牛の餌にするそうです.

燕麦の刈入れ
台地を下る

 道は森と草地の中を延々と下ります.

断崖を下る

 断崖の端を下って行きます.落石や落ちた枝がありますが、ウバメガシの木立で遮られ恐怖感はありません.

室戸岬

 行当岬は背後になり、室戸岬がもう近くです.海岸で1時間バスを待って戻りました.

(つづく)

高知学209 室戸への道を歩く9 羽根から吉良川へ 西山台地と2車線の広域農道

2022.4.17

 室戸への海岸に沿う段丘の中で、農地の規模が大きいのが羽根川の先に広がる西山台地です.標高はおよそ150m、国道から狭い道を登ると、突然2車線の広い道路が現れます.これが広域農道です.

台地に上がる

 台地といってもただ平らな土地が広がっているわけではなく、侵食によるいくつもの谷があり、台地は分断されて舌状に海に向かって広がっています.昔、海岸との行き来は断崖を上がり降りするしかありませんでした.写真は台地にあった案内板です.

 
 青色(一部緑)が現在耕作地になっている台地で、谷によって寸断されていることがわかります.

 台地の最上部を横に結ぶ広域農道が1990年代につくられました.案内板で示される「現在地」を通っている道です.各集落はここから枝分かれして入るようになりました.

 広域農道とは、広い範囲の営農地を団地として整備するための農道で、都道府県が管理し、幅員は5m以上(2車線)と定められています.

広域農道の終点

 上がったところが終点の集落で、突然切れているので延長の計画があったのかもしれません.

東二又橋
下を覗く

 谷は橋で越えています.もっとも大きい橋が東二又で、高さ100mくらいあるでしょうか、下を覗くと風が吹き上がり、お尻の辺りがムズムズしてきます.

広域農道を歩く

 水田や麦畑もありますがサツマイモが多く、私もこの地の産が好きです.植え付けが終わり、イノシシ除けの電撃柵が巡らされています.車の通りはほとんどありません.

水田とイモ
サツマイモ

 地図を見ると、この先の細い道が下に通じているのですが行き止まりでした.作業中の女性に訊くと「下に行くには農道しかないよ」と言われました.昔使われた谷間の急傾斜の道はもう廃道なのでしょう.

奥はセンリョウの畑

 正月の飾りで使うセンリョウも特産で、竹で覆った畑をよく見ます.日光が当たると葉の色が褪せるのです.

行当岬

 行当岬が見えます.上が崎山台地で、やはり農道があります.

 広い道を下りに下ると海岸に出ました.バスを40分待って戻りました.

(つづく)

高知学208 室戸への道を歩く8 加領郷から羽根 岬を迂回する中山峠

2022.4.5

 加領郷から羽根岬を通りますが、岬は断崖になっているので昔は山に上がり中山峠を越えていました.今もへんろみちの地図では岬回りより1km短いとしています.ただ100m迄登らなくてはなりません.加領郷から上がろうとしたのですが、登り口がなかなかわかりません.そのため一旦岬の向こうに出て逆に峠を越えてみました.

羽根岬の岩礁

 今、台地へ上がる道はどこも改修工事が進行しています.津波避難路としての役割があるのでしょう.車道を上がって東を見るとこの先の行当岬、そしていよいよ室戸岬が見えます.同じような断崖と段丘です.

行当岬と室戸岬

 峠を上る車道の傍に「へんろみち」の掛け札がありました.車を邪魔にならないところに停めて擁壁の上の遍路道を上がります.車道が古い道を断ち切っているのです.

右が遍路道

 暗い森の中に昔の街道らしく壊れた石畳が残っています.

遍路道を登る

 やがて開けますが荒地です.溜池もあり、田畑があったのでしょう.

峠道

 人影は全くありません.

草叢の棚田

 放置された棚田が残っています.中山の集落もあったはずです.しかし今は住む人の居ない家ばかりで、桜だけが変わりなく咲いています.

台地の家

 峠道を戻って羽根川を渡ります.昔は川に沿って森林鉄道があったのですが、今は工場です.

飲料工場

 自販機で馴染みの工場です.室戸深層水のドリンクはここでつくっているのでしょう.背後は採石場の跡です.

富士鍛工場 

 さらに奥に行くと富士鍛の工場があります.津波から逃れるよう移転してきたのです.大物の自由鍛造が専門で、2500トンの加工機を備え、電力、重機などの特にリング状の部品を製造しています.最大径2.7m、3.2トンまで加工可能ということです.実はこの会社、奈半利にも工場があり、貯木場の半分はこの工場の鋼材置場になっています.傍を通ると重量物を置くズンという地響き、加熱で焼ける油のにおいを感じます.

富士鍛奈半利の鋼材置場

 海岸の集落や峠の荒地と比べて落差はあまりにも大きいのです.

(つづく)

 

高知学207 室戸への道を歩く7 奈半利から加領郷へ 明るく寂しい台地の道

2022.3.17 

 奈半利には魚梁瀬森林鉄道の昔からの大きい貯木場があります.

奈半利貯木場
材木トレーラ

 巨大なトレーラトラックが材木を満載して出入りしています.これ1両で森林鉄道の1列車分ありそうです.

 さて、土佐湾東の海岸はみな同じような形で、緩い斜面が海に落ち込んで崖になっています.元は海底であった面が隆起してこの形になっています.

羽根岬と行当岬

 いま室戸は年に7mm沈下しています.フィリピンプレートが日本のプレートの下に潜り込もうとしているため、その動きに引きずられて沈むのです.しかし100年経つと限界が来て跳ね上がります.これが南海地震ですが、その量は押され続けてきたため1.5-2mです.沈下は100年で0.7m、跳ね上がりが1.7mとするとその差1mが隆起します.1,000年では10回で10m、1万年では100mになります.

 崖の下は荒海なので、昔の道は上を通っていたと思われ、奈半利の先、須川から台地に上がりました.高さは100mほどで、道は屈曲して加領郷まで続きます.

台地から

 通ってきた奈半利が見えます.

台地の桜

 点々と住まいがありますが、小さなお墓もあります.去って行った人が残したのか.ここに住まいした足跡でもあるのでしょう.

小さなお墓

 モクレンが咲いています.無くなった住まいの庭先にあったのか.

モクレンひとり

 しかし新しい小さな家もあって、豆や野菜がよく育っています.

小さな家

 下りて森に入ると鶏の声が喧しく、養鶏場があるのかと思ったら見当たりません.しかし右の森で鳴いたら左の森で答える.どうやら放し飼いにしているようです.

加領郷小学校

 加領郷の学校と港の上に出てきました.

(つづく)