高知学103 激動の室戸岬-後編 甲浦へ

1.東海岸

 四国遍路八十八ヶ所、1,200kmの道ですが、もっとも厳しいのは、徳島県の二十三番薬王寺から室戸岬の二十四番最御崎寺に至る75.4kmではないでしょうか.距離があるというより、道そのものが厳しいのです.

 さらにその間で野根から三津に至る25.4kmは断崖の海岸であり、中でも野根から入木までの10kmには全く人家がありません.

(下は三津漁港)

 室戸岬のスカイラインから見ると、山の急斜面が直接海に落ち込んでいることがわかります.さらにこの斜面は海面下1,000mまで達しているのです.

 急に深くなっているので、深海の魚であるキンメダイの漁場です.また一帯は魚の通り道で定置網が仕掛けられています.泳いでいる内に壁に当たり、それに沿って進むと、捕獲の網の中に入り込む仕組みです.

(定置網)

2.海の道

(海岸の道を北へ)

 波が寄せる道を室戸から北の徳島県に向かって進みます.どこまで行っても海と空です.ガードレールは潮風ですっかり錆びています.格別波の強い日ではありませんでしたが、車を降りて地面に立つと、波による地響きが伝わってきます.

(夫婦岩)

 途中に四つの岩塊から成る夫婦岩があります.岩が蜂の巣状、網状になっています.侵食と共に、塩が結晶化する際に岩の成分を分解する作用が伴うそうです.

3.渚の遍路道

(遍路道だった波打際)

 現在の国道は崖を削り、海辺にコンクリートの擁壁をつくってできていますが、昔は海岸に道がありませんでした.土佐藩の参勤交代は室戸岬への海岸を通らず、この先の徳島県境に近い野根から山道を通っていたのです.

 しかし遍路はそうは行きません.室戸岬のお寺をパスできませんし、何よりもここは空海が修行した空と海であり、悟りを得た洞窟もあるのです.

 道が無いので波打際を歩きます.岩を攀じ登り、砂利に足を取られながら進むのです.恐ろしいのは天候の急変です.波が強くなるともう歩けません.崖を攀じ登り、木につかまって過ごすしかありません.

 そのため海の道の入口である北の野根には、遍路を泊める善根宿が多かったといいます.天候待ちをして、地元の人が「今日なら」というとき、暗い内に出発して無人の海岸を抜けるのです. 

(お遍路さん)

 途中には難所に行き暮れた遍路を泊めるよう、番外霊場の仏海庵が設けられていました.今でも野根から室戸まで一日で歩き通すことはハードなので、途中の海岸に民宿があります.ほかに人家がないため、バス停は「民宿徳増」などとなっています.

4.野根から甲浦

 野根には土曜日に地元のご婦人方が行う小さな朝市があります.こけら寿司の伝統料理があり、頼んでおけば取り置きしてくれます.

(野根の朝市)

 さらに進めば壮絶な海岸は終わり、生見のサーフィンビーチです.

(サーフィンの海)

白い浜に波が寄せ、ショップやペンションがあって、「湘南海岸」です.

(海岸のカフェ)

 さらに先の甲浦(かんのうら)が県境になります.昔、阪神と高知間の交通で船が大きい役割を果たしていた時代、汽船は甲浦に寄っていました.家内が学生のとき友人に室戸の網元の娘がいて、あるとき鰹を一本ぶらさげて船に乗り、大阪の先生に持って行ったそうです.

 甲浦駅は徳島からの牟岐線と接続する阿佐海岸鉄道の終点です.線路を走った後、鉄輪を上げタイヤで道路を走るDMV(Dual Mode Vehicle)が運転されています.

5. こけら寿司

(こけら寿司)

 往復180kmでしたが、日のあるうちに帰って早速こけら寿司で一杯.

 炊いた飯に焼サバをほぐして混ぜたゆずのしぼり汁を加え、木枠に入れて押す.上に卵焼き、人参、椎茸、人参の葉を乗せる.これを5段に積んで重石をする.一升が一段です.野根のご婦人は、下ごしらえはしていたが夜中2時に起きてつくったそうです.お祝いごとで多く、丁度七五三で大きい包みが置いてありました.

 綺麗だし味もきつくありません.好きです.

(初版:2020年11月26日)       (改訂版:2022年4月2日)

高知学102 激動の室戸岬-前編 室戸岬へ

 1.南海トラフ

 高知県は、東は室戸岬、西は足摺岬を両端とする半円形の土佐湾に面しています.ただしこれらの岬は県境ではなく、突き出た二つの岬を回った先のそれぞれの根元までが高知県です.

(室戸岬の灯台と太平洋)

 室戸岬の南、太平洋に向かって140km、水深4,000mの辺りで、南から来たフィリピン海プレートが日本のプレートの下に年間数cmの速度で潜り込んでいます.潜り込む一帯が南海トラフと呼ばれ、この運動に引きずられて高知県東部は徐々に沈みます.

 しかしある限度に来ると、変形に耐えられなくなって跳ね上がります.これが南海地震です.跳ね上がる間隔、すなわち地震の間隔はほぼ100年で、跳ね上がる量、隆起量は毎回1.5-2mです.隆起量はそれまでに沈んできた量よりも大きいのです.それはプレートの移動と共に、上に乗っていた海底の岩石、土砂がプレートから剥がされ、陸地に押し付けられて盛り上がるためです.

(室戸岬の海、この先140kmで…)

 有史以前から地震は繰り返されていますが、近年では1707年の宝永地震、1854年の安政地震、1946年の昭和地震があります.

 今は昭和地震から76年ですが、沈下は着実に進行していて、昭和以来、室戸岬先端で0.6mです.次はいつかとなりますが、昭和地震は隆起量が1.2mと比較的規模が小さく、歪が解消しきれていないので100年目より早いのではないか、2038年辺りの可能性が高い、との推定があります.

2.室戸岬

(室戸の台地から)

 室戸岬を訪ねます.

(海洋掘削船「ちきゅう」)

 南海トラフの地下の状況を知ることができれば大変役立ちます.海洋研究開発機構などによって、掘削船「ちきゅう」を用い、トラフ地域の海底7,000mまでパイプを下ろして掘削、資料を採取し、センサを設置しています.写真は自宅近くの海を航行中の「ちきゅう」です.

 室戸岬上の展示板に詳しい水深図が示されています.左下から右上へ、紫色が濃くなる部分が南海トラフです.

(高知の海底水深図、ジオパークの展示板)

 図を見ていくつか気が付くことがあります.

 第一は、土佐湾全体は遠浅の入江ということです.二つの岬を結んだ線でようやく深くなるのです.太平洋に面していても穏やかなのです.しかし地震で津波が発生すると浅瀬で波がどんどんと盛り上がります.

 第二は、室戸岬の東の海底が突然1,000m近い断崖になっていることです.この辺り陸地でも300mくらいの崖ですから、海水がなければ併せて1,300mの大断崖が聳えることになります.この付近には活断層があり、断層崖だそうです.

 第三は、岬の南東に浅い一帯があることです.これについて記された書物は知りませんが、隆起地域内にあるのですから、いずれは島になるのかもしれません.

3.室戸岬へ-西の海岸

(西の海岸)

 朝、室戸岬へ向かいます.土佐湾に面した西の海岸は、海底から順次隆起してできた段丘で、岬はみな同じ形をしています.上の日当たりのよい台地ではサツマイモがつくられています.道の駅に軽トラでいろいろの品種のイモが次々運び込まれます.いつも大量に買い込みます.

(台地のイモ畑)

 室戸岬の少し手前の室津が室戸市の中心部です.札所の津照寺の下に魚屋があり、よく買物をします.お遍路さんもお詣り前に予約をしています.

(室戸の魚屋)

(初版:2020年11月22日)         (改訂版:2022年4月2日)