高知学104  八畝と怒田の棚田

1.棚田の地域 

 高知県の北部、徳島との県境に近い吉野川南岸に帯状に棚田地帯が伸びています.八畝(ようね)、怒田(ぬた)はその中にあります. 

(八畝、怒田の棚田)

 見た人が「マチュピチュだね!」と言いましたが、山の頂近くから谷底まで棚田が並び、家々が点在しています.

(山上の道路)

 各家々が近くに見えていても、この斜面のどこをどう上るのかは難しく、そのため住居と道路を示す地図が沿道にあります.ただメインの道路は何となく一本道で、迷うことはありません.

2.棚田を見る

(春の棚田)

 春、田植えが済んだ水田では蛙の声が盛んですが、投影面積の割りにひと区画の田は狭く、その間にある土手の傾斜が緩いことに気付きます.

(山上の水田)

 周囲の山が見渡せる高所でも、水田には豊かに水が湛えられています.しかし溜池や用水路があるわけではありません.緩やかな傾斜と豊富な水、これがこの地域の特徴です.

 地質学者によれば、この一帯は御荷鉾(みかぶ)帯と呼ばれる地質であり、その底部では、緑色岩が水による変成を受けて粘土化し、水を通さない厚い層をつくっているとのことです.その上に風化した層、長年に渡って崩壊した層が乗り、大量の水を過飽和なまで含んでいます.いわば洗面器に水を湛えた状態なのです.

3.地すべり対策

 傾斜が緩く水が豊富、耕作には良いのですが、もともと地すべりが重なって生まれた地形なのであり、地すべりはついて回ります.

(地すべり対策事業の掲示板)

 そのため長期に渡る国の直轄事業で地すべり対策工事が進められてきました.完了に近づいていますが、まだ進行中のところもあります.

(排水路)

 河道を広げ護岸を行って水流を確保すると共に、ところどころの斜面に新しく排水路を設けています.

(集水井)

 井戸を設けて斜面の水を集め放水します.近づくと水音が聞こえます.地下に多数の排水管を設置することも行われています.

(GPSによる地盤移動監視)

 斜面のところどころにGPS受信機を設置し、地盤の位置変化をモニターしています.

4.棚田の秋

 地すべり工事はありますが、刈入れを終わった秋の棚田はのどかです.銀杏が金色に光ります.

(秋の怒田)
(秋の八畝)
(民宿・レーベン)

 地域には民宿があり、レーベンもその一つで、牧場があることからチーズづくり体験をしたことがあります.

5.山を巡る

(山腹の林道)

 八畝からの山腹を林道が西に向かって長く伸びています.分岐には人家もなく山に迷い込んでしまわないか不安になりますが、森と斜面を進んでいるとその内に土讃線の大杉駅に達します.

(連なる山々)

 西には石鎚に連なる山並みが重なっています.朝霧が濃いということです.次第に冷え込んでくるのでしょう.

(初版:2020年12月4日)      (改訂版:2022年4月1日)

2022年4月2日 改訂版

2020年12月4日 | カテゴリー : 高知学 | 投稿者 : 河田 耕一

高知学103 激動の室戸岬-後編 甲浦へ

1.東海岸

 四国遍路八十八ヶ所、1,200kmの道ですが、もっとも厳しいのは、徳島県の二十三番薬王寺から室戸岬の二十四番最御崎寺に至る75.4kmではないでしょうか.距離があるというより、道そのものが厳しいのです.

 さらにその間で野根から三津に至る25.4kmは断崖の海岸であり、中でも野根から入木までの10kmには全く人家がありません.

(下は三津漁港)

 室戸岬のスカイラインから見ると、山の急斜面が直接海に落ち込んでいることがわかります.さらにこの斜面は海面下1,000mまで達しているのです.

 急に深くなっているので、深海の魚であるキンメダイの漁場です.また一帯は魚の通り道で定置網が仕掛けられています.泳いでいる内に壁に当たり、それに沿って進むと、捕獲の網の中に入り込む仕組みです.

(定置網)

2.海の道

(海岸の道を北へ)

 波が寄せる道を室戸から北の徳島県に向かって進みます.どこまで行っても海と空です.ガードレールは潮風ですっかり錆びています.格別波の強い日ではありませんでしたが、車を降りて地面に立つと、波による地響きが伝わってきます.

(夫婦岩)

 途中に四つの岩塊から成る夫婦岩があります.岩が蜂の巣状、網状になっています.侵食と共に、塩が結晶化する際に岩の成分を分解する作用が伴うそうです.

3.渚の遍路道

(遍路道だった波打際)

 現在の国道は崖を削り、海辺にコンクリートの擁壁をつくってできていますが、昔は海岸に道がありませんでした.土佐藩の参勤交代は室戸岬への海岸を通らず、この先の徳島県境に近い野根から山道を通っていたのです.

 しかし遍路はそうは行きません.室戸岬のお寺をパスできませんし、何よりもここは空海が修行した空と海であり、悟りを得た洞窟もあるのです.

 道が無いので波打際を歩きます.岩を攀じ登り、砂利に足を取られながら進むのです.恐ろしいのは天候の急変です.波が強くなるともう歩けません.崖を攀じ登り、木につかまって過ごすしかありません.

 そのため海の道の入口である北の野根には、遍路を泊める善根宿が多かったといいます.天候待ちをして、地元の人が「今日なら」というとき、暗い内に出発して無人の海岸を抜けるのです. 

(お遍路さん)

 途中には難所に行き暮れた遍路を泊めるよう、番外霊場の仏海庵が設けられていました.今でも野根から室戸まで一日で歩き通すことはハードなので、途中の海岸に民宿があります.ほかに人家がないため、バス停は「民宿徳増」などとなっています.

4.野根から甲浦

 野根には土曜日に地元のご婦人方が行う小さな朝市があります.こけら寿司の伝統料理があり、頼んでおけば取り置きしてくれます.

(野根の朝市)

 さらに進めば壮絶な海岸は終わり、生見のサーフィンビーチです.

(サーフィンの海)

白い浜に波が寄せ、ショップやペンションがあって、「湘南海岸」です.

(海岸のカフェ)

 さらに先の甲浦(かんのうら)が県境になります.昔、阪神と高知間の交通で船が大きい役割を果たしていた時代、汽船は甲浦に寄っていました.家内が学生のとき友人に室戸の網元の娘がいて、あるとき鰹を一本ぶらさげて船に乗り、大阪の先生に持って行ったそうです.

 甲浦駅は徳島からの牟岐線と接続する阿佐海岸鉄道の終点です.線路を走った後、鉄輪を上げタイヤで道路を走るDMV(Dual Mode Vehicle)が運転されています.

5. こけら寿司

(こけら寿司)

 往復180kmでしたが、日のあるうちに帰って早速こけら寿司で一杯.

 炊いた飯に焼サバをほぐして混ぜたゆずのしぼり汁を加え、木枠に入れて押す.上に卵焼き、人参、椎茸、人参の葉を乗せる.これを5段に積んで重石をする.一升が一段です.野根のご婦人は、下ごしらえはしていたが夜中2時に起きてつくったそうです.お祝いごとで多く、丁度七五三で大きい包みが置いてありました.

 綺麗だし味もきつくありません.好きです.

(初版:2020年11月26日)       (改訂版:2022年4月2日)

高知学102 激動の室戸岬-前編 室戸岬へ

 1.南海トラフ

 高知県は、東は室戸岬、西は足摺岬を両端とする半円形の土佐湾に面しています.ただしこれらの岬は県境ではなく、突き出た二つの岬を回った先のそれぞれの根元までが高知県です.

(室戸岬の灯台と太平洋)

 室戸岬の南、太平洋に向かって140km、水深4,000mの辺りで、南から来たフィリピン海プレートが日本のプレートの下に年間数cmの速度で潜り込んでいます.潜り込む一帯が南海トラフと呼ばれ、この運動に引きずられて高知県東部は徐々に沈みます.

 しかしある限度に来ると、変形に耐えられなくなって跳ね上がります.これが南海地震です.跳ね上がる間隔、すなわち地震の間隔はほぼ100年で、跳ね上がる量、隆起量は毎回1.5-2mです.隆起量はそれまでに沈んできた量よりも大きいのです.それはプレートの移動と共に、上に乗っていた海底の岩石、土砂がプレートから剥がされ、陸地に押し付けられて盛り上がるためです.

(室戸岬の海、この先140kmで…)

 有史以前から地震は繰り返されていますが、近年では1707年の宝永地震、1854年の安政地震、1946年の昭和地震があります.

 今は昭和地震から76年ですが、沈下は着実に進行していて、昭和以来、室戸岬先端で0.6mです.次はいつかとなりますが、昭和地震は隆起量が1.2mと比較的規模が小さく、歪が解消しきれていないので100年目より早いのではないか、2038年辺りの可能性が高い、との推定があります.

2.室戸岬

(室戸の台地から)

 室戸岬を訪ねます.

(海洋掘削船「ちきゅう」)

 南海トラフの地下の状況を知ることができれば大変役立ちます.海洋研究開発機構などによって、掘削船「ちきゅう」を用い、トラフ地域の海底7,000mまでパイプを下ろして掘削、資料を採取し、センサを設置しています.写真は自宅近くの海を航行中の「ちきゅう」です.

 室戸岬上の展示板に詳しい水深図が示されています.左下から右上へ、紫色が濃くなる部分が南海トラフです.

(高知の海底水深図、ジオパークの展示板)

 図を見ていくつか気が付くことがあります.

 第一は、土佐湾全体は遠浅の入江ということです.二つの岬を結んだ線でようやく深くなるのです.太平洋に面していても穏やかなのです.しかし地震で津波が発生すると浅瀬で波がどんどんと盛り上がります.

 第二は、室戸岬の東の海底が突然1,000m近い断崖になっていることです.この辺り陸地でも300mくらいの崖ですから、海水がなければ併せて1,300mの大断崖が聳えることになります.この付近には活断層があり、断層崖だそうです.

 第三は、岬の南東に浅い一帯があることです.これについて記された書物は知りませんが、隆起地域内にあるのですから、いずれは島になるのかもしれません.

3.室戸岬へ-西の海岸

(西の海岸)

 朝、室戸岬へ向かいます.土佐湾に面した西の海岸は、海底から順次隆起してできた段丘で、岬はみな同じ形をしています.上の日当たりのよい台地ではサツマイモがつくられています.道の駅に軽トラでいろいろの品種のイモが次々運び込まれます.いつも大量に買い込みます.

(台地のイモ畑)

 室戸岬の少し手前の室津が室戸市の中心部です.札所の津照寺の下に魚屋があり、よく買物をします.お遍路さんもお詣り前に予約をしています.

(室戸の魚屋)

(初版:2020年11月22日)         (改訂版:2022年4月2日)

高知学101 最長の過疎 伊尾木川を源流まで-後編 別役へ

1. 明夜から上流へ

 まだまだ岩石が転がり、土砂の堆積も続きますが、次第に量は少なくなります.

(昼休み)

 折柄昼休みで、作業員が網を手に魚を探っています.平常なら河原は鮎釣りの人で賑わうのですが.

(落ちた橋から)

 橋が落ちて対岸に行くことはできません、下の流れは澄んでいます.急流で水嵩が多いから濁りの解消が早いのです.

2.山上の集落

        (山上の集落はどこに)

 かつては河口から源流域まで森林鉄道が敷かれ、さらに横荒川に支線もありました.大型ダンプの往来が少なくなり、道は次第に落ち着いてきますが、狭くもなります.

(
(国土地理院 1:25,000地形図、「赤城尾山」
平成20年10月1日発行より.黄色は走行中の道路)

 地図を見ると天ノ郷は標高800mですが水田や畑もあり、まさしく別天地のように思えます.行ってみたい気はしますが、もう住人は無いでしょうし、点線の徒歩道もおそらく廃道で、草木を掻き分けないと到達できないでしょう.

 なぜこんな高いところに住んだのか.それは林業、炭焼きの働き場所が山の上にあったからです.

(川上側から見た川成集落.右に分かれている林道を上ると山上の集落近くに達するのですが)

3.最後の集落

         (別役公民館)

 付近一帯は携帯の圏外です.公民館は使われていませんが、非常の連絡に備え小窓を開けて公衆電話がかけられるようになっています.

(土居-最後の集落)

 別役土居が最後の集落です.元は河道がなく岩石の間を流れるままになっていましたが、谷を削って流路がつくられています.パイプを通る山からの水も加わり、流れの轟音が辺りに響いています.源流近くでこれですから、山がいかに大量の水を含んでいるかがわかります.道路にもあちこちで水が流れています.

(アメゴの養殖)

 人の姿が見えたので訪ねました.ご夫婦でここでアメゴの養殖をしています.市は衛星電話機を貸しているそうです.

 お聞きすると、前編で記した入口の大井からここに至るまで、住人はいま4人ということです.ここに2人だから、ほかのどこかに2人.

 以前に出会った、90を過ぎて色白でなおかくしゃくとしたご婦人、これから鮎釣りにでかけるというその老息子、育てている椎茸をサルがむしって困ると話していたご夫婦、みんなどうしたのでしょうか.地図上ではこの間の集落が19に上るのですが.

4.駒瀬越

(駒瀬越から)

 これから先、徳島県に至る峠道は通れるかどうかお訊きすると、三日前に通ったので可能であろうとのことでした.

 屈曲を繰り返して400m上り、1,050mの駒瀬越に至ります.下に土居の集落が見えます.この谷を雨雲がやってきて大量の雨を降らすのです.

(駒瀬の山林)

 辺りの急傾斜の山は植林した木々で覆われています.一本一本すべてを人の手で植えて育てたのです.

 トンネルを抜けて徳島県に入ると、1,400m級の山々で遮られので、もう災害個所はありません.ただし人家もありません.半分くらいが舗装のないダート道で、下りに下って、高知と徳島を山間で結ぶ195号線に出ます.

-おわり- 

(2020年10月28日 初版)     (2022年4月1日 改訂版)

高知学100 最長の過疎 伊尾木川を源流まで-前編 明夜へ

1.伊尾木川

 伊尾木川の河口は高知市と室戸岬の中間にある安芸市です.伊尾木川沿いの最奥の集落まで50kmありますが、流域はすべて安芸市になっています.最奥まで達して標高1,050mの駒瀬峠を越えると徳島県に入ります. 

             (花の集落)

 市街を出ると次第に平地が狭まり山に入ります.昔は川に沿って奥地まで森林鉄道が敷かれていて、今も橋梁の跡を見ることができます.

2.豪雨の被害

 高知は鹿児島、宮崎と共に年間降雨量が3,000mmになる日本の多雨地域です.中でも伊尾木川に隣接する魚梁瀬は、年間4,000mm、三日間で1,300mmの記録があるのです.太平洋の湿った大気が直接山に吹き込んで豪雨となります.一方、魚梁瀬の安田川、奈半利川は山間で屈曲して雲を遮りますが、伊尾木川は山の中をほとんど直線的に流れているので、湿度の高い空気が山奥の源流まで一気に達します.

          (河道の掘削)

 2018年7月の西日本豪雨では、急傾斜の山肌は崩れ、河岸や路肩は崩壊し、流出した土砂が川を埋め尽くしました.重機が動き、復旧作業が続きます.掘削してつくった流れの両側はすべて流されてきた土砂なのです.

3.大井

                (大井)

 安芸市内から17kmのところが大井です.ここ迄は安芸市のコミュニティバスが日に3回運行され、率直に言えば安芸市の居住領域はここ迄なのです.欄干には大きな凹みがあります.車がぶつかったにしては大き過ぎます.しかし上流は右だし、集落が浸かった様子はありませんから、何かの拍子に大きな石が跳ね上がったのかもしれません.

             (伊尾木川ダム湖)

 伊尾木川ダムに出ます.左奥が堰堤で、本来はここが満々と水を湛えるダム湖なのですが、以前から土砂が堆積しダムの用が果たせなくなっていました.今回さらに堆積が増え、水はほとんどありません.どうするのか、土砂の上で測量を行っています.

5.古井

 ここから先、地図を見ると、古井、明夜(あきよう)、伊田渕、島、影野、スドウ、川成(こうなろ)、トベリキなどの集落があり、最後が別役土居になります.

            (古井の集落)

 沿道では次第に廃屋が目立ちます.

           (旧古井小中学校)

 対岸に廃校になった古井小中学校が見えます.鉄筋の校舎、可愛らしい体育館と共に教員の宿舎が並んでいます.山奥から来る生徒の寄宿舎もあったようです.もっと昔には離れた山の上に分校もあったし、この沿道に郵便局もありましたが今は消滅しています.

             (明夜の集落)

 しかし廃屋ばかりではなく、今も住まわれている家もあります.

           (路肩の工事)

 至る所で工事が行われていて、時間制限があって進行は捗りません.住民は少ないかもしれませんが、林業にとって必要な産業道路です.

つづく)

(2020年10月25日 初版)    (2022年4月1日 改訂版)