1945年の敗戦から1950年代にかけて日本人の合言葉は「復興」でした.戦災前の日本に戻すということです.
1951年、講和条約、日米安保条約が締結され、現在に至る日本の体制がつくられました.一方同年には天皇以上に権威を持ったマッカーサー連合軍司令長官が解任され、また一極の象徴であったスターリンが1953年に死去し、日本は昔の姿ではない自立の道を探ります.

1953年、電車の窓には板ではなくガラスが入り、座席も板張りから布へ、貫通幌が戻って車両間が行き来できます.日本人も「進駐軍専用車」並の乗車ができるようになったのです.強いて言えば「急」の円板に残る英字が占領の名残りでしょう.戦争から8年でここまで来たのです.

1954年、新型車両11001型が走り出します.高速駆動系、全車転換クロスシート、そして薄緑に緑の帯はついに「復興」を越えたのでした.
