鉄道の姿はその時代の社会情勢と関係します.時代と共に変わる鉄道の変遷を社会から探ります.
敗戦混乱期を身近に過ごした南海高野線の写真から振り返りました.1945年、敗戦時の鉄道は空襲によって壊滅の状態でした.満足な車両は無く電力の供給は途絶えがちでした.そこで蒸気機関車が起用されました.南海では1Cテンダ機関車のC10001、元々は海南島の鉱石輸送のためにつくられたのですが、戦況の悪化に伴いそれどころではなくなり、放置されていたものを利用したのです.この機関車は後に岡山県の片上鉄道でタンク機関車に改造されC13という形式になりました.


牽く客車は筑波鉄道、阪和線で使い物にならなかった木造車です.ガラスが無いので板張りに小窓だけがつくられています.真っ暗で開け放しの扉から入る光がたよりでした.屋根の雨漏りに応急のキャンバスを張っています.

貨物のために碓氷峠の旧型アプト式機関車ED40がやってきました.ロッドで各軸を駆動する方式でした.5161となり、一度上の蒸気機関車と重連で走っているのを見ましたが同じようにせわしなくロッドを回していました.1919(大正8)年大宮工場製で、現在重要文化財として保存されていますが重文級も使用されたのでした.

その中で眩しかったのは「進駐軍専用車」です.これは窓にガラスが入り、綺麗に塗装されシートも板張りではなく布地でした.以前は明確な区別のため黄色の丸とUS Armyの文字がありましたが、白線だけが残る1954年最後の姿です.同年は自衛隊発足の年、もう米軍を特別扱する必要は無くなったのでしょう.かつて一般車両の扉横には “Off limits to occupation forces” の標記があり、日本人の乗る車両には伝染病感染のおそれがあるとされたのでした.